9_28_日

近所の目黒不動尊は28日だったので、毎月ある縁日で賑わっていた。出店は目新しい物はないが、ふらっと遊びに行くのは楽しい。自分の育った大阪の新興住宅街はこういうものがなかった。こういう町で育ったら、面白かっただろうなあとも思う。
目黒不動瀧泉寺というのが正式名称で、その歴史は古い。江戸時代の人達もこの場所を往来していたのだろうと思うと、ちょっと楽しくなる。現代は情報はあるし、世界のどこにでも行こうと思えば行けるが、江戸時代の頃の方が生活に深みがあったように思う。だから落語の長屋の話しが今でも面白く聞けるのだと思う。
映画や大音量のライブも興奮するが、着物姿の噺家が座布団に座って、「えー、近頃は」なんて言いながら話す落語が、ああ、本当にこれから面白いことが始まるわいと思う時がある。その「本当」と思うのは、深いということかもしれない。

そんなこと思いながらも、ネットを繋げると、色々なレコードばかり探してしまう。1971-72年、1992-1994年の物に弱い。71-72年はアシッド・フォーク、サイケ。92-94年は初期シカゴハウス。どちらもまだちゃんとした形になってないが、そこにはちゃんと世界があって面白い。形になると、今度はそのフォームに縛られてなかなか崩れなくなってしまう。そのフォームの聴き手がしっかり出来てしまうからだ。
そう考えると、音楽を作って聴き手がいない方がいいのかということになる。案外今の自分のような、聴き手はいるがそれで生活は出来ない。でも楽しいというのが、作る方も果敢にやれるのかもしれない。生活が出来てしまうと、そこからはみ出すことが出来なくなる可能性もあるし、大抵面白くなくなってしまう。

自分は何でも面白くやっていきたい。