10_30_木

目黒のスタジオで個人練習。今月3度目のソロライブだが、違うセットリストがまたすぐ作れた。

新宿の片隅のカフェでしばしiPod石橋英子を聴きながら、うーって寝てしまった。気持ちよかった。新宿は歌舞伎町はやっぱり好きだが、逃げ場はあるようでない。まだ大久保辺りの方がごちゃごちゃして、街の陰になるような場所がある。大阪の繁華街も段々そういう場所が減って来ているようは気もするが、探せばある。そんなことを書いていると、自分が野良猫のような気分になってきた。

テレビで泰葉の会見をちらっと見た。ビートたけしの兄がへらへら笑いながら偉そうに「こういうことしても、自分がかわいそうになるだけじゃないんですかね」と言っていた。ひとを「かわいそう」と言うひとが、僕は嫌いだ。このたけしの兄は本当になんでテレビに出てるのだろうと前から思う。たけしがあんまり好きではないのは、この兄のせいかもしれない。

テレビに出てるひとのことをあれこれ思ってもしょうがない。どれもショウで、視聴率上がればスポンサーが喜ぶという茶番の世界なんだから。芸能人のことなんてどうでもいいが、この間読んだ月亭可朝の「ナニワ博打八景」という本で、ミヤコ蝶々のことを批判するエピソードがあってどきっとした。ギャンブル、スケベの可朝師匠だが、あるマナーを持って生きているのがよくわかった本だった。
可朝の弟子である八方のCDは一枚しか出ていなくて、その中の「坊主茶屋」は名演だったが、これは可朝師匠仕立てのものではないだろうか。可朝師匠の高座のCDが一枚もないのはさみしい。志ん朝と可朝は生年月日が全く同じである。天国と地獄という感じでもあるが、落語家としては、可朝師匠の方がずっと面白く生きているのではと思う。

自分もCDばかり何枚も作って来たが、形に残すより、存分に生きているかということの方がずっと大事だから、そう形に残すことにこだわってもしょうがないなと最近思い始めてる。