5_17_土

朝、ゆっくり起きて洗濯して、昼前、食事を作る。豚バラとにんにくを炒めながら、こしょうで肉の臭みをとる。いい香りがして、ついビールを開けてしまう。野菜を一気に炒めて、出来上がり。みそ汁は最近友人に送ってもらっただしパックがすごいよくて、美味しく出来る。
そんなひとり暮らしのひとりの食事は、それはそれで楽しいものだ。
映画『遭難フリーター』の上映後のトークショウで、観客からの質問コーナーが面白かった。そのひとつに「この映画では監督が食事をするシーンがよく出てきますが、どうしてどれもまずそうに食べるですか?」というものがあった。そこで岩渕監督がどう答えたのか覚えてはいないのだが、その質問は自分の中で妙に残ってしまった。
確かに映画の中で、監督自身が食べるシーンはどれもまずそうなのだが、それも何度か映ると、まあそういうもんかなと思えたりする。
例えばカンパニー松尾監督が、自分のAVの中でカレーやラーメンを食べるシーンはやたら美味しそうに映る。それは外食で、確かに美味しいものだろうからであるが、その松尾さんが自宅でひとりでものを作って食べるシーンは見たことないし、別に見たくはない。
自宅でひとりでものを作って食べるのは、どこか恥ずかしいものであるからだと思うが、どうなんだろう。
自分がひとりでものを作って食べるものは、質素ではあるが、自分が食べたいものであるので、実はそれはそれでまあまあ旨い。
旨いが、多分それを自分はまずそうに食べてるんだろなと思うし、旨そうに美味しそうに食べるのは、どこかいやなのかもと思う。
自分のデビューアルバムの中で、乱雑な部屋の片隅でめしに食らいつく姿、母親には見せられないけど、君なら笑ってくれるだろうか、というフレーズがあったことを思い出した。
自分がひとりでものを食べる姿をさらけ出せる岩渕監督は、したたかで強いひとなのかもと思う。

夜、息子が来て食事を作る。彼がものを食べる姿を見てると、特にうまそうに食べるってわけでもないのだが、淡々と平らげていく姿はうれしい。時々「おいちい」と言ってくれる。そうだな、ものはおいしそうに食べなくてなと思った。