9_14_火

一週間の帰省から帰宅。日曜には東京に戻るはずだったが、自分が扁桃炎でダウンしたため、少し遅れた。でも久しぶりに実家でゆっくり出来た。息子は両親によくなついて、楽しそうだった。高熱のピークは39.5度でなかなか苦しかった。今は下がって大分すっきりしてる。
ギターも持たないでipodもなかったが、CDを何枚か持って行ってた。ボブ・ディランばかりだったが、ずっと聞いていた。CDを一枚一枚取り替えて聞くのが楽しい気がした。

東京を出る前に、歌詞を転載されていた単行本の編集者から夜遅くにメールが入っていた。著者から聞いた担当の名前でなく、女性で、電話でとお願いしたのになぜ夜中にメールで連絡が来たのかわからない。ひどく懇切丁寧な詫びの文面だったが、一貫して「豊田様の詩」と書かれていて、歌詞と書かれてないのでいまいちピンと来ない。このひと本当に現場で作業したんかなと思った。さっと返信して、おしまいにした。

実家でダウンしていた時、中上健次の評伝『エレクトラ』を読んだ。46歳で亡くなった小説家の生涯、面白く読んだ。24歳で子供を持っている。娘へ書いた手紙が何ともよかった。業が彼に小説を書かせたようだと勝手に思っていたが、それはとんでもない間違いで、物凄い努力家だった。最初の頃、書いた原稿がなかなか載らない時期が長く、ひとつ年上の編集者とのやり取りはすさまじい。互いに20代だったからやりあえたのだろうとも思う。

そういえば発熱の間、息子が妙に可愛く思えた。一緒に寝れなくて、でも息子は「おとうさんと寝るー」と言ってくれた。

京都の六曜社へ行って、結構長い間いた。マスターのオクノ修さんと色々話せた。来月東京に来てくれる。ブレンドとインドを飲んだ。西成の難波屋には今回二回行った。二度目の時は夜ちょっと遅い時間のためか、若者らも割といて、また違った感じに見えた。水餃子、美味しかった。西成の夜は早い。ドヤ街で男達は眠っているのだろう。あまりひとの気配のしない釜ヶ崎を歩くのが好きで、何かいろいろな感情が胸をついてくるような。安宿に泊まりたかったが、朝、息子のそばにいてやりかったので終電で帰った。
京都の三条河原町マクドナルドやミスタードーナツが潰れたり、大阪も相変わらず不景気な感じではあったが、自分にとってセクシーな街であることは変わりない。大人の男は怖いし、女は声がよく通る。