3_3_火

昨日あるひとから「よく死ぬ気でやらないといかんとか、死んだ気になってやれとか言うけど、それは生きてることを1としたら
、死ぬことは1000とかのたとえであって、俺は死ぬことなんて、生きてることを1としたら、2か3くらいのことなんだと思うんだよね」と電話で言われた。
なるほどと思った。頑張れ頑張れと言われ続けて、それに応えようとして、こんな狭い国で年間3万人の自殺を生んでるのは何かおかしい。死んだ気になってやれと言われても頑張れないこの国では、死ぬ方がマシやわと思うのか。もっと楽しく生きれないのかなあと思う。

大阪の西成のドヤ街にいると、妙に気持ちがしんとして、何かがキラキラ見えてくる気がした。あれは何だろうとたまに思う。なんもなくても、笑ってしまいそうになる。

釜ヶ崎や、行ったことはないが、東京の山谷。どちらも日雇い労働者の街だが、どちらも近くに大阪は飛田、東京は吉原という女性が身体を売る地帯がある。日雇いでいつ行き倒れるかわからない人達は女を買う余裕はないし、そういう事もなさそうだが、近くにそういう場所があるのは何でだろうと思う。男にとっての苦界、女にとっての苦界が寄り添っているのが、ふと、やさしく思える。そして、そこは果たして本当に苦界なのだろうか。

生殖行為と行き倒れの街では、生と死をどうしても感じてしまう。
セクシーという言葉は英語であるが、語感に「生」と「死」が入ってるから好きなのかもしれない。

午前中、引っ越しをした。