5_24_日

昨日エンジニアの内田直之と久しぶりに電話で話す。内田くんと出会って、一緒にやったアルバム『実験の夜、発見の朝』のこと、『ギター』のことなど話す。
1998年リリースの『実験の夜〜』のことを思い出しながら、その頃好きだったピチカート・ファイヴの『HAPPY END OF THE WORLD』を聴く。『実験の夜〜』と同じく福富幸宏さんが共同プロデューサーで、福富さん独特のホワッとしたボトムとバタバタとスウィングしながらも締まったリズム・プログラミングが気持ちいい。踊れることを強く意識したこのアルバムは歌のアルバムではないが、小西康陽さんの歌詞のほんの少しの部分に、人生という果てしなくやっかいで愛しいものと対峙してる心情が出ている。そもそも「人生」という言葉自体がポップではないが、「私の人生、私の夏」というタイトルがあるのは当時もちょっとびっくりした。
自分が20代であった90年代は、東京に出て来て狂騒の日々であったが、大人の音楽がそばにあって、常に先を走っていて、どれもポップで強くてかっこよかった。ちゃんと時代の中で生き抜いていた。今はその頃の人達は息も絶え絶えとなっているように見える。何かに依存したり、だめな者同士くっついたり。破れかぶれでもいいから、本当にいい曲を書いてほしいのだが。
今の自分は少しは大人の音楽をやれてるだろうか。今年に入って書いた曲をカウントしたら9曲あった。どれもラフな曲で、大人の音楽とは言いがたいが、より自分らしい歌ではあるかなとは思う。自分ではわからない。

今も今の大人の音楽を聴きたいと思う。子供よりも大人は圧倒的な経験値があるが、それを音で奏でられたらひれ伏すしかない。大人の音楽とは、肉体的な音と言い換えてもいい。自分にとってドラマー久下惠生の音がそれで、今年に入ってはじめての久下さんとの演奏が今からとても楽しみで、少しこわい。